古屋圭司通信

IMG_5030-2.JPG 大東亜戦争勃発翌年、昭和17年3月2日、日本海軍駆逐艦「雷」の艦長であった工藤俊作海軍中佐は、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国海軍所属「エンカウンター」以下2隻の生存者が海上を漂流している現場に遭遇。交戦国将兵であるにもかかわらず生存者全員422名を敢然と救助し、友軍以上に厚遇した。このとき敵潜水艦や航空機の脅威下にありながら、工藤艦長以下「雷」乗組員全員は一丸となって救助にあたり、英国海軍将兵に深い感銘を与えた。このとき救助された将兵の数は「雷」乗組員全員の実に2倍に相当するものだった。
 ところが、この行為は戦時下とあって秘匿され、さらに昭和19年4月「雷」はメレヨン島近海で米海軍潜水艦の雷撃をうけ沈没。その結果、工藤艦長「雷」乗組員の気高い行為は歴史の彼方に忘却される寸前だったが、その折救助されたサミュエル・フォール卿(89歳、元英国外交官、昭和17年当時英国海軍少尉、「エンカウンター」乗務)が、平成15年に工藤中佐の墓所や遺族を尋ねて訪日、その体験を語られたことにより、私たち日本国民は工藤俊作中佐と駆逐艦「雷」の勇気ある行為を知ることになった。
 残念ながら、このときには工藤艦長の消息を知ることはできなかったが、その後の調査により墓所が判明。フォール卿の60数年来の悲願である工藤艦長の墓参が可能となった。
IMG_5032-2.JPG このような経緯で、日英外交150周年という記念の年に、平沼赳夫衆議院議員を実行委員長として、経団連をはじめとする財界関係者ならびに防衛省はじめとする関係者の協力により昨年12月7、8日に墓参ならびに都内ホテルにて盛大な顕彰会を開催した。私は、実行委員会の事務局長を務めさせていただいた。
 顕彰会当日に89歳という高齢をおして車椅子にて出席したフォール卿は、その短い挨拶の中に心からの感謝の気持ちをひしひしと感じ取ることが出来た。


 過日、実行委員会の報告を終え、無事一連の行事に幕を下ろすことが出来た。
IMG_5031-2.JPG 当時、このような行為は国際法に照らしても軍人としても当然のこととの考えで、工藤中佐自身も語ることはなかったと言われている。恵隆之助氏(元海上自衛隊幹部、現在評論家)の著書「敵兵を救助せよ!」に詳しく記されているので関心のある方はご一読いただきたい。
 かつて、私が会長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(現会長は中山成彬議員)にて、今度恵氏より講演をお願いする予定だ。恵氏は、既に神奈川県内の中学校に招かれて講演をしており、それを聴いた生徒は大きな感心を示したという。いずれは、副読本などにも採用されるように働きかけていければと考えている。
 南京虐殺30万人というような謂れのない虚実が、あたかも事実かのごとく取り上げられているが、我々日本人は長年にわたり規律や道徳心を大切にしてきた国民であり、全くの意図的なでっち上げであると改めて確信する次第だ。

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