古屋圭司通信

19_4_27.JPG 「夢だと思っていたのに、実現するなんてすごい!」。リニア運行への大きな一歩が踏み出された二十六日、計画ルート沿線からは、政財界や一般市民を問わず、歓迎する声がわき起こった。
 「目標年次を明示されたことは、実現への前進を意味する」と高く評価したのは、沿線自治体でつくる「リニア中央エクスプレス建設促進期成同盟会」の会長を務める神田真秋・愛知県知事だ。
 「リニア中央エクスプレス建設促進国会議員連盟」の幹事長で、リニア新駅を誘致する岐阜県東濃地方選出の古屋圭司衆院議員(岐阜5区)も「二0二五年をいかに前倒しするかが政治の役割」と、今にも走り出しそうな勢いだ。
 リニア停車駅の誘致に向けて二十億円を目標に基金を積み立てている三重県亀山市の田中亮太市長は「非常に力強く感じている」と声を弾ませた。「リニア中央エクスプレス建設促進飯伊地区期成同盟会」の会長を務めるなど推進に積極的な長野県飯田市の牧野光朗市長も「近い将来の姿が見えてくるような発言を心から歓迎する」。岐阜県中津川市の大山耕二市長や長野県松本市の松本商工会議所の井上保会頭(64)のように、リニアの通過ルートとなる可能性がある地域の代表たちは「早期建設に向けた運動を今後も一生懸命やらなければ」などと、決意を新たにした。
 
 市民の夢も膨らむ。三重県四日市市山城町の公務員水野義隆さん(40)は「もし四日市にも駅ができたら家族旅行だ。飛行機並みに早く着くのなら、少々お金がかかっても平気」と語り、中津川市本町の主婦小林久美子さん(45)は「東京まで三十分で行けるようになるなんてすごい。二〇二五年よりもっと早く、とお願いしたい」と話した。
 期待と逆風の45年


 日本のリニア史は、実に四十五年前の旧国鉄時代までさかのぼる。東海道新幹線がまだ工事中で、開業まであと二年を残していた一九六二年。高度経済成長の波に乗り、早くも「新幹線の次」を見据えた「まったく新しい輸送システム」として、磁気浮上式リニアモーターカーの開発がスタートした。
 
 七二年に旧国鉄の研究施設で浮上走行に成功すると、七三年には全国新幹線鉄道整備法で「基本計画」に決まって推進が本格化。九〇年ごろにはバブル経済の活況や、推進派だった故金丸信元自民党副総裁の後押しもあり「二十世紀中に着工可能」との期待も膨らんだ。
 
 だがその後は、バブル崩壊や金丸氏の違法献金事件による失脚、小泉内閣による公共事業の削減と逆風続き。近年は「もはや夢物語」とさえ言われていた。
 
 風向きが変わったのは今年に入ってからだ。葛西敬之会長や松本正之社長が、記者会見やマスコミのインタビューで相次いで「リニア実現に向けてイニシアチブ(主導権)を発揮する」と明言。経済界からは「どうやらJR東海は本気のようだ」と驚きを持って受け止められていた。
 
 もっとも、JR東海には勝算があるようだ。民営化から二十年で年間営業利益を35%増の一兆二千億円に伸ばし、費用負担にある程度耐える体力は付いた。「葛西会長と親交のある安倍晋三首相の登場で、国の後押しを得やすくなった」(鉄道業界関係者)との観測も広がる。防災意識の高まりで「万一に備えた新幹線の代役」の意義が増し、時代も味方している。

コメントは停止中です。

ページトップへ