古屋圭司通信

 臓器移植法改正案が6月18日衆議院を通過した。
 重要法案ではあったが、採決には党議拘束をかけなかった。それは、個人の死生観にもかかわる問題だからだ。私はA案に投票した。もし、A案が否決されればD案に投じる予定だった。予測よりも大差で可決されたというのが印象だ。
 私がA案に投じた理由はA案は移植増加が期待されること、また15歳未満の脳死者家族の拒否も担保されているからだ。何より、移植を求める方と提供家族双方への配慮が今回投票の重要な要素だった。
 私は、今回の投票にあたって、自らの考え方はもとより、幅広く関係者の意見も参考にさせていただいたことは申し上げるまでもない。今回この法律改正が衆議院を通過するまで12年を要した。国会の不作為といわれても致し方ないと反省を込めて改めて痛感している。
 その間に助かるべき命が数多くあったはずだ。そうした状況にも関わらず民主党の参院会長は「最優先でやらないといけないとは思っていない」と記者会見で述べたことは極めて問題と思う。人命にかかわる法案である以上党利党略に弄することなく、今国会中に必ず成立させなければならないと考えている。参議院での速やかな審議、採決を望んでいる。
 脳死を宣告された家族の心境は大変複雑であろうと思う。
 特に子どもの脳死判定は、非常に難しく脳死状態でも身長も髪も伸びると聞く。奇跡を信じ願い続ける家族において、脳死を死と受け止めることが本当に出来るのか、自分にあてはめても家族の臓器提供により、受け取った側で自分の家族が生き続けると、考える事が出来るか疑問だ。その時になってみないと答えは出せない。移植により、幸福を得られる人々の裏側には、家族の死を悲しむ人々がいることを絶対に忘れてはいけない。
 しかし、改めて指摘したいことは、移植により救われる尊い命が、国会の不作為により助からないということは絶対にあってはならないことだ。それが我々立法府の責任だ。

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